最近よく目にする言葉に
「人生をマスターする」とか
「自己のマスター性に気づく」とかいうのがあります。
「臨済録」で言われている
「随所に主となれ」というのは、それと同じことだと思いました。
自分が何を思考しているのかを、常に観察していられることなんだと思います。
思考を無意識的に野放しにしておくのではなくて、意識的に選ぶことによって、現実を創造することに主体的でいられることをマスターと言うのではないでしょうか。
わたしたちが、創造主に似せて創られたといわれているのは、創造する力が似せて創られたのだといいます。
無意識的であっても常に発動している力ですが、もっと意識的に使うことによって、それを願望実現のために使いこなそうというのが、今の時代、世界中の人の興味の的になっているように思います。
でも本当のところは、願望実現の前に、本当の自分を思い出すことが、私たちの真の願望のように思うのです。
本当の自分を思い出したときには、次に何を望むのでしょうね?
マスターであるためには、常に今の意識を見張っている視点が肝心なようです。
それが覚醒の第一歩なのかもしれません。
随所に主となるとは、即今(イマ)、当処(ココ)、自己(ジコ)に意識的でいることで、それがマスターへの道なのではないかと思います。
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